ゴールデンウィーク突入
2022年4月28日
私はゴールデンウィークの恩恵を受けない。
思い返してみて、これまでまともな仕事に就いたことは無かった。
就職活動という経験をしたことがない。
これまで何となく生きこれたのは運が良かったのだろう。
そして、まともな人が喜ぶ連休は、私にとって関係のないものになった。
それを羨ましいと思う気持ちも特に無い。本当に関係が無いのだ。
今年のゴールデンウィークも仕事だろう。
それが当たり前であって、その代わりに自由な出社が可能なのである。
これを人に話すと羨ましいと言われることもあるが、保証というセーフティネットの無い人生を綱渡りしているだけの人生だ。
将来はいつだって見えない。未来を考えると不安ばかりだ。
しかし、それでも、なんとかなるだろう。人生なんてそんなものだ。
と、強がってみたが、10年後の自分は何をしているだろうか。
10年後にこの日記を読むのが楽しみだ。
決断が遅い
2022年4月27日
私は決断するのが遅い。
4月いっぱいで仮想通貨の投資を手仕舞いして、5月は様子見をする予定だった。
当初予定していたのは、5月から1ヵ月は下げ相場が来るだろうと見ていたからだ。
しかしあっという間に、私が予想していたマイナス要素を相場が織り込んで、4月中に下げに転じてしまった。
つまり、仮想通貨の市場は私の想定よりも1ヵ月早く動いているんだと思う。
本来であれば、その時点で予想は外れているのだから損切りなりしておくべきなのだろうが、ダラダラと持ち続けてしまった。
どうするか。ここで損切りするべきか。
しかし、相場が私の予想より1ヵ月早く動いているのだとしたら、5月に入ってから価格は上昇に転じるのではないだろうか。
そんな淡い期待を抱きながら、私はこのまま仮想通貨を持ち続けてしまうのだろう。
レバレッジは掛けていないから、0になったとしてもマイナスにはならない。
それだけが私の理性を保てているたった一つの理由だ。
ポジポジ病&損切り恐怖症の重症患者である。
小さなイライラ
2022年4月25日
私はストレスが溜まっている。
ここ数日、あいつがイヤホンを付けずに音楽やyoutubeを見ている。
いつもイヤホンを付けていたのに、最近は音を出しながら視聴している。
あいつと同じ部屋、同じ家にいる時間がストレスになっている。
小さなイライラが募る。もう出て行って欲しい。
一緒に生活することは出来ないんだと、こういう部分で実感する。
なにかの当てつけなのだろうか。それとも図々しいだけか。
視界に入ってこないで欲しい。どこかに消えてほしい。
そういう気持ちばかりが大きくなる。
そろそろ限界だろうか。冷静に話し合わなければ。
もう愛情は無いんだと。これから先は無いことを伝えなければ。
元通りになることは、二度と無いんだから。
飽き
2022年4月24日
私は飽き始めている。
電子遺書を続ける必要性について疑問を感じている。
「面白そう」というだけで始めたことだから、仕方がないといえば仕方がない。
こうして書いている間は「面白いか」と言われても、別に面白くはない。
書こうと思えば書けるが、書く意味があるのか?と問われたら何も答えられない。
「死ぬ前に読み返したら面白そう」という意見は変わっていないが、それの重要度がどれほどあるのか分からないのだ。
やったことに対して成果が分からない、というのはやる気が削がれる原因なのだろう。
これは電子遺書だけでなく、ビジネスにおいてもそうだろう。
自分のしたことが、どれだけ成果に繋がっているのか、これは明確である方が面白い。
なにか新しい仕組みが作れないだろうか。
続ける意味を見出せるような指標が作れたら変わるだろう。
ちょっと考えてみよう。
眠い日が続く
2022年4月21日
私は眠い。
理由は分からないが、日中に眠くなる。
自分では寝ているつもりだが、睡眠が足りないのかも知れない。
昨日は深夜2時~3時頃に寝たはず、そして今朝は9時過ぎに起きた。
すっきり目が覚めたというより、なんとなく覚めたという感じだった。
最近、そういうことが増えている気がする。
ぼんやりと目が覚めて、ベッドでゴロゴロと過ごし、出社する。
会社で仕事をしていても、眠くて、あまり集中ができない。
この連鎖を断ち切るために、今日は早く帰ってきた。夜から雨予報だし。
ただ今の時間は20時37分。
これから、お酒を飲んで、23時頃には眠れるように行動してみよう。
目標タイムは22時。そこから9時間寝たとしたら、朝7時起床ぐらいだろうか。
明日こそパッキリ目が覚めてればいいな。
忘れていた
2022年4月19日
私は日記を忘れていた。
どうやら自分の中で、この日記の重要度が下がりつつあるようだ。
書くのを忘れることが増えてきた。
三日坊主というよりも、一か月坊主といった感じか。
結果が出ないことに飽きているような気もする。
ここから先は「好きこそものの上手なれ」だろうか。
何かに熱中できることを羨ましいとさえ感じる。
これまで、そんなにもすべてを忘れて打ち込んだことが無い。
常に何かを冷めた目で見ていた人生だった気がする。
夢中になってすべてを忘れて打ち込む。
酔っぱらっている今の想像では、パチスロかFXだろうか。
金を賭けたギャンブル、死か生かの瞬間とも言えるのかもしれない。
自分の人生を賭けなければ、全力を賭けられないというのはいかがなものか。
もう少し健全な生活を送りたかった。
純粋な人がうらやましい限りだ。